The Primate

霊長
2009年3月〜7月
小豆島 AIR2009 spring
香川県小豆島町での滞在制作のためのプロジェクト

「小豆島霊場八十八ヶ所巡りをする過程で偶然出会った霊能者が霊視する人物像の彫刻を作る。」との計画のもと、不思議なことに予定通り偶然出会ってしまった霊能者との対話を基に制作された私的かつ多義的な作品群。小豆島でのプロジェクトにおいて同時期の「同じ夢を見る」と対になっており、誰でも見た経験がある夢に対して、霊視という特殊な知覚現象を対置した。知的好奇心から始められたプロジェクトだが、そこで得たものは筆舌に尽くしがたいものがある。

小豆島で出会ったその霊能者とは、真言密教の僧侶であった。僧侶と1週間ほど寝食を共にし、あるときは島内を散策しながら、またあるときは夜が明けるまで対話を続けた。以下のページの作品は、彼が抱いたヴィジョンと彼の発した言葉とを私なりに解釈し、形象化したものの一部である。

 

音叉 Tuning Fork
2009
モルタル、磁石、砂鉄、アンプ、スピーカー、オーディオプレーヤー、子供箪笥
48×57×28cm(幅×高さ×奥行)
椎名の背後にいるという 2 人の人物を形象化した作品。千里眼を持つその僧侶によると、人が一度でも抱いた思念は消えてなくなるわけではなく、その人に砂鉄のようにくっついている。祈ることとは、その砂鉄を一粒づつ摘まみ取り、神仏に引き取っていただく行為であると言う。作品内部から微かに聞こえてくる振動音は、僧侶の奏でるギターの音とサイン波の音を合成して作られた。
p1

 

 

新鮮な野菜 Fresh Vegetable
2009
モルタルに着彩
12×25×20cm
僧侶との対話で、椎名は過去に拾ってはいけない石を拾ったがために、不遇の一生を送る運命にあることを宣告される。だが、椎名は芸術家になるべくして生を受けたのであり、これからますます制作活動に励め、指先から世界に発信せよ、と切ない激励を受ける。泥酔しながらその言葉を聞いていた椎名は、その時たまたま食べていたレタスのようにシャキシャキに新鮮な作品を作ることを決意するが、その後作られたレタスの彫刻は、レタスとは似ても似つかぬものであった。
p2

 

 

溶けゆく太鼓 A Melting Drum
2009
シリコンゴム、磁石、砂鉄、ポリ塩化ビニル、コンクリート台
椎名の背後にいつもいるという女性を形象化した作品。この人物のために椎名には女難の相があるという。
p3

 

 

海の上の木 A Tree on the Ocean
2009
モルタルに着彩
40×21×23cm
僧侶によると、偶然というものはなく、全てはあらかじめ決められているという。椎名がこの僧侶と出会うことも、拾ってはいけない石を拾うことも、粘土を扱う彫刻家になることもあらかじめ決められていた。深い闇を持つ自分を知ることは怖いことであるが、闇が無ければ光は前へ進めない。光だと思っていた自分は影になり、影だと思っていたものが光になることもあり得る。これから私が話すことを決して人に話さないで下さい。
p4

 

 

Rising Dragon / Scene from “The Primate”
2009
6分59秒、DVD
ある日、僧侶と2人で、近くにある滑り台に水を流して遊んでいた。彼によると、この滑り台は竜王様の降りてこられる通路であり、彼には流れる水の形象の中に竜王様のお顔に見えるという。竜神は悪い思念を避けて泳ぐ存在で、喫緊の願いをかなえることができるという。
p5

 

 

Mountain
濡らした両手で印を結ぶ様子。
p6

 

 

二十四の瞳(六の瞳) 24 Pupils (6 pupils)
2009
接合されたサングラス、テグス
4.6×15×14.8cm
僧侶に初めて出会った時に、「私の後ろに何か見えますか?」と問いかけたところ、「見ることは断片的なものに過ぎない。」と軽くたしなめられた経験に基づく作品。タイトルは小豆島を舞台にした同名の映画にちなむ。
p7

 

 

Psy
2009
スズ、小砂利
3.8×8.3×2.6cm
小豆島で出会った霊能者は宗教者であり、仏教徒であった。釈尊の言葉「サイの角のようにただ独り歩め。」の話題になり、「なぜサイなのか?」と尋ねたところ、「サイは草食でおとなしい動物だが、立派な角を持っており、肉食獣も容易には近づけない。サイは猛獣がやって来ても恐れず逃げない。それぐらい静かに強いってこと。」と教えられた体験にちなむ作品。
p8

 

ここまで2006年から2009年までの作品を見てきた。私は2005年には全く制作活動をしていないので、この期間の作品は、2000年以降の私の活動の中で大きな位置を占める「火山焼」の後の展開ということになる。「火山焼」は、地球上のほとんどの鉱物の源である火山という場所で、同じく鉱物である粘土から作られた塑像を焼き上げようとすることにより、物質の変容を通して時間の可塑性について考察するものだった。その後、2つの夢を見たことがきっかけで、過去の時間はあらゆる物質の記憶としてとどまり、物質とはその実体を突き詰めれば私たちが「映像」と呼ぶものに近いのではないかと気が付いたのだった。その発見が、冒頭のページの「Starring You」というインスタレー ションになっていき、それから今まで、人間の精神という幻のようなものを追い求め、それを形象化しようとしてきたように思う。当初からこの発見の帰結がいわゆる唯我論に陥るかもしれない危険性を感じていたこともあり、「Urato Drift」「Kappa Complex」を筆頭に他者とのコミュニケーションを媒介とした活動が多くなっている。「Kappa Complex」は「河童とは水棲人類である」との前提で始まり、河童体験者のイメージを合成し河童像を作ることを通して人間存在そのものを造形することを意図していた。それがここ2009年になって奇しくも再び夢というモチーフに立ち返り、また同時に霊視という未知の領域に踏み込んでいくことになった。そこで得たものを言葉にするには、これからさらに検証が必要だが、ある予感めいたものを感じていることも事実だ。例えば、千里眼を持つその僧侶によると、人が一度でも抱いた思念は消えてなくなるわけではなく、その人に砂鉄のようにくっついているのだという。この考えは私が2006年に直感した「過去の時間はあらゆる物質の記憶としてとどまり、…」のアイディアに酷似している。僧侶の言葉から、私は砂鉄を用いた作品(「Tuning Fork」など)を制作したが、それではまだ足りないと思っている。また、火山焼と同時期の2000年頃からのアイディアである「Photosynthesizers」を具体的に作品化し始めたことも、これまでの活動の中でのもう一つの大きな出発であった。「Photosynthesizers」は、人間と植物のハイブリッドを探る、というややSF的なモチーフだが、種子を人体に植えるという具体的なパフォーマンスは、2007年に山形県に多く残っている即身仏を取材したことの影響が大きい。人間や自然世界の霊性は肉体や物質および形態とどのように関わっているのだろうか。今は彫刻の制作を通してそれらを形象化したいと考えている。(椎名勇仁、2009年9月)


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